今年もこの日がやってきました。
7年前(2011年)の3/11(金)午後2時46分、東北地方で発生した想定を超えた巨大地震(後に東日本大震災と命名)。1万8千人超の死者・行方不明者を出し、7万人超の方々が現在も避難生活を続けています。三陸地方には「命てんでんこ」という格言があるそうですが、私も当日の避難体験を機会ある度にご紹介しています。今日のネタは、その内容(2014/3/11のFBネタの加筆再掲載)です。
私は同日、出張先の栃木県宇都宮市で震度6強の揺れに遭遇。怪我はありませんでしたが、すべての交通手段と宿泊先を絶たれ、JR宇都宮駅前で帰宅難民になりました。街は停電。駅舎やホテルは「倒壊の危険がある」とのことで外に出され、西口駅前には数千人と思われる人々が呆然としていました。携帯電話のワンセグTVを観て、災害が広範囲にわたっている事を知ったので、ここに居ても直ぐに救援は来ないと理解しました。日没と共に雪がチラついてきたので、私は「ここに居たら助からない」と判断。東京の自宅へ向かって歩き始めました。道路は信号機が消えていて大渋滞。そのヘッドライトの明かりを頼りに2時間程歩いたところ(JR雀宮駅付近)、トヨタレンタカーの店がありました。停電で店内は真っ暗でしたが、ヘッドライトに照らされて人影が動くのが見えたので、ダメ元で店に飛び込みクルマを借りられないか尋ねました。店員さんの話しでは、『コンピュータがダウンしているので通常受付はできないが、現金支払いでよければ今朝印刷した伝票で空いているクルマを融通できる』とのこと。シートがフラットになるタイプ(車中泊できる)を貸してしてくれました。おかげであの災害時のなかにもかかわらず、ゆっくり睡眠し、翌日昼には無事に家族と再会を果たせた訳です。
ちなみに、トヨタレンタ店員さんの機転と親切に感謝し、以降のレンタカーはトヨタを優先して利用しています。
人は忘れる生き物です。特に辛い記憶は薄れるようできています。それでも、そこから得た教訓とご恩だけは忘れずに活かし続けたいものです。
- 大災害や緊急時は、人に頼らず自分の判断で避難する。
- 受けたご恩は、いつか返せるよう生涯忘れない。
- 亡くなった方々の分まで、誠実に生きる。