毎年この日は、東日本大震災の遭遇体験記を掲載しています。人はいつ最期が訪れるかわかりません。残された命は精一杯、誠実に使いましょう。
今年もこの日がやってきました。12年前の2011年3月11日(金)午後2時46分、東北地方の東側で巨大地震が発生(後に東日本大震災と命名)。私は出張途中のJR宇都宮駅前(栃木県)でこの地震に遭遇。幸い怪我はありませんでしたが、すべての交通手段と宿泊先を絶たれ、帰宅難民になりました。
街は停電。駅舎やホテルは「倒壊の危険がある」とのことで外に出され、駅の西口広場前には数千人と思われる人々が呆然としていました。携帯電話(ガラケー)のワンセグTV放送で災害が広範囲にわたっている事を知り、ここに居ても救援は直ぐには来ないことを察しました。さらに日没と共に雪がチラついてきたので、「ここに居たら助からない」と判断。約110Km先にある東京の自宅へ向かって歩き始めました。途中にあった停電したコンビニでおにぎりと飲み物を現金支払で調達し、歩いているうちに日が暮れました。道路は信号機も消えていて大渋滞。そのヘッドライトの明かりを頼りに2時間程歩いたJR雀宮駅付近に、トヨタレンタカーの店がありました(現在は閉店)。店内は停電で真っ暗でしたが、ヘッドライトに照らされて人影が動くのが見えたので、ダメ元で店に飛び込みクルマを借りられないか尋ねました。店員さんの話しでは、『コンピュータがダウンしているので通常受付はできないが、現金支払いでよければ今朝印刷した伝票で空いているクルマを融通できる』とのこと。しかも、シートがフラットになる(車中泊できる)クルマを貸してくれました。おかげで大混乱のなかにもかかわらず、警察署の駐車場でゆっくり睡眠し、翌日昼には無事に家族と再会を果たせました。後で知ったのですが、JR宇都宮駅が復旧するのに3日を要したそうです。
人は忘れる生き物です。特に辛い記憶は薄れるようにできています。それでもそこから得た教訓とご恩だけは忘れずに活かし続けたいものです。大災害や緊急時は、人に頼らず自分の判断で避難しましょう。受けたご恩は生涯忘れず、いつか返せるよう心がけましょう。亡くなった方々の分まで精一杯、誠実に生きましょう。